12月のことば

2024年12月02日
宗教教育

11月28日(木)の午後、今年度は京都光華高校にて、「成道会のつどい」が開催されました。京都にある仏教系の学校が集まり、毎年順番で開催校を変えながら、実施しているものです。

本校からは、高校2年生の宗教委員の一部が参加させていただきました。厳かな中で、生徒主催で進行し、ご法話をお聞きかせいただきました。『詰んだ』と思うことにであっても、見守られていることを感じながら、新たな一歩を踏み出してほしいという、ご講師の英月先生の力強いお話は、生徒の心に響いたのではないでしょうか。

生徒にとっては、他校の仏教行事は新鮮で、改めて京女や自分を見つめなすきっかけになったと思います。

11月27日(水)の1時間目に高校2年生にむけて宗教特別講演会を実施しました。

ご講師として、本願寺布教使の藤井智子さんにご登壇いただき、「思い通りにならなくても」という演題でご講演をいただきました。

人は孤独であり、自分のことは見えているようで、見えていない、全部が全部思い通りになっても、不安は消えることはない。そんな中、仏教を鏡にして自分を見つめたとき、心が自由になる、という仏教の教えを、とても分かりやすくお話いただきました。

仏教を通して、自分にとって大切なものは何かということを、改めて考えるきっかけになったのではないでしょうか。    

11月20日(水)の1時間目に高校3年生にむけて宗教特別講演会を実施しました。

ご講師として、車いすフェンシング選手の藤田道宣氏にご登壇いただき、「阿弥陀さまとの出遇いーパラスポーツからみる多様性と調和ー」という演題でご講演をいただきました。

19歳の時に海難事故にあい、車いす生活になり人生に絶望したこと。リハビリが終わり、社会に出てからが本当のリハビリであったこと。そして、車いすフェンシングを通して、生きる希望を見出し、今の自分があること。世界を転戦するなかなかで、様々な価値観を持つ人たちとふれあい、自分の価値観が変わっていったことなど、普段私たちが気付かない視点からのお話で、自分を見つめなおすきっかけになりました。

「障がいは不便である。しかし不幸ではない。」(ヘレン・ケラー)

この言葉を、胸にしっかりと刻みたいと思います。

11月13日(水)の1時間目に高校1年生にむけて宗教特別講演会を実施しました。

ご講師として、本校の卒業生でもあり、日本の女性ロックシンガーの先駆者でもある白井貴子さんに来ていただき、ご講演をいただきました。

お母様から受けた愛への感謝、そしてそれが、すべての「いのち」に対する愛につながっていること。「PEACE MAN CAMP」という活動を通して、自然と共に生きる大切さなど、様々なお話をしていただきました。

茅は枯れてもなお「CO2」を吸収し、屋根で土に戻り、それを再び、土に戻すと栄養いっぱいな土になり今度は野菜や木々を元気にします。ぐるぐる回って「命が循環」すること、これを忘れないようにしてほしいと思います。最後には歌を交えながら、自分らしく生きることへの力強いメッセージをいただき、生徒だけでなく教員方もとても大きな勇気をもらいました。本当にありがとうございました。

 

本日11月9日(土)の放課後、中高の報恩講をお勤めしました。

報恩講とは、親鸞聖人のご命日のことで、浄土真宗では親鸞聖人のご「恩」に「報」いる機縁としようという気持ちから、ずっと昔からいとなまれているものです。

飛び入りの生徒も含めて200人以上の参加で、とても盛大なものとなりました。

緊張しながらも、焼香を一生懸命する姿が印象的でした。

また、ご法話は、宗教教育センターの湯川先生で、誕生日だけではなく、いつか来る自分の命日を起点に今の自分を振り返ってみたら、というお話でした。普段とは違う視点で物事を考えるきっかけになればと思います。

最後には、親鸞聖人が好きだった小豆にちなんで、全員におはぎを渡し、報恩講が終了となりました。

お参りいただいた生徒の皆さん、先生方、ありがとうございました。

おはぎを食べながら、今日のお話や、親鸞聖人のことを少し思い出してもらえればと思います。

また、今回参加できなかった人も、3学期の涅槃会、是非参加してみてください。

本校では、毎年7月に、宗教教育の集大成として、西本願寺にて宗教研修会を行っています。

高校3年生を5団に分け、半日ずつ研修を行いました。

宗教研修会では、ご法話を聞かせていただいて、普段の生活や考え方を見直したり、正信偈を写経し、授業で習った言葉などを実際に書いて味わうなどの研修が行われました。

ご法話の中で、いのちは繋がっているということ、そして決して一人ではないということをお伝えいただきました。

短い時間でしたが、普段とは違った形で、仏教に触れるという体験を通して、「生かされている 」ということを深く味わうきっかけになったかと思います。